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【2003年6月】

6月30日(月)  観音遊歌さんへ
 こちら。
 質問者が誘導的に過ぎる気がします。
 トータルで利益にならない人材を私企業が採用しない事は考えてみればごく普通に行われているわけです。プロ野球選手が球団の従業員であるのならばドラフトにより他社の出方を見て採用・不採用を決める事にそんなに問題はなさそうな気がします。
 独立事業者としての選手が野球というサービスを供給する、その供給先が限定される問題にしてもトータルで不利益になる取引を私企業がしないというだけの話なのではないでしょうか。
 選手に球団を選ぶ権利があって然るべきなのと同様に、球団にはその選手を選ばない権利があっていい。その辺についてどう考えるべきか、だと思います。

6月29日(日)  DALさんへ
 オタクはみんなそう言います、とか。
 誰それはオタクである/オタクでないという本質が先行するわけではないのですからして、あんまり意味のない言及だと思います。アンガージュマン、とか明後日をみつめながら呟いてみる。

>SF
 sfってのは世界の仕組みについてのお話の事ですから、女の子と世界の関わり如何によっては有効な切り口になるでしょう。でも、それが全てだとは思いません。
 で、sfを産んだ人類の精神、SFってのは事態が解釈可能である事を信じる精神に他ならないので、それは女の子について語るに当たっても必然的に顔を出すはずです。

6月28日(土)  おふれぽ
 観音遊歌追悼(?)オフ――死者に鞭打て――いってきました。
 お姉ちゃんたちを懐に入れたまま文字式と芥川と徒然草を説き、しかるのち山本に電話。
「どうなってるの? 徹夜とかあるの?」
「はい、あるみたいですよ。更科さんとかは11時で帰られるみたいですが」
更科さん!?
 そういやドミンゴってグス「マン」やん、とか丁度考えていたところだったので、大いに驚く。
 そうなると思考回路はもうそっち方向一直線。ボビー・ローズってRoseじゃん薔薇じゃん、とか。タフィはRhodesなんですよ、ちなみに。
 獲っても良かったんじゃねえかな、多田野。
 これがホントの横浜ゲイスターズ。

 その後、新宿パセラで朝までカラオケ。
 誰がどういう曲を、と言うことはあまり無く「ドキュンな曲」をテーマにそれぞれ思いついた曲を入れる不思議なカラオケ。
 途中、トイレに立ったところで、何故か小川びぃさんに遭遇。
 小川さんは藤津亮太さん、大塚ギチさんたちと歌いに来たとの事。
「どうしたの?」
「いや、何故か加野瀬未友さんと歌っているのですよ」
「加野瀬さん来てるの?」
 大はしゃぎする小川さん。
 大塚さんともう一人の方と連れ立って我々の部屋にやってきて、「加野瀬さ〜ん」と手を振っていくプレイ。
 フツーに挨拶すりゃいいのに。

 全体にとても楽しかったです。
 首都圏中高一貫校育ちの無責任な脱俗性について大いに反省させられる事しきり。
 あと、佐藤心・相沢恵がここにいない必然性ってそういやないな、と奇妙な事を考えた。というか、いたら面白そうだなあ、と。でも良く考えてみたら連絡先しらない。
 よろしければkaolu4s@lily.freemail.ne.jpまでご連絡ください>佐藤さん

6月27日(金)  げんしけん 2巻
 強烈な敵性電波を感じていたわけではありますが、田中さんにキてしまったわけでございます。ファンタジーのたっぷりつまった良い乳だなあ。
 SF研は『げんしけん』禁止サークルですが、なに今の俺は雷鳥会のストーリーコンダクター・冬中郁。恐れるものはなにもないですよ。邪神を叩き潰すまでどすえ。
 一巻が秋葉原では見当たらなかったのでとりあえず二巻。
 微妙にズレた描写も散見されるけど(サークルで即売会行くんなら共同購入が基本だと思うし、「面白かったら買う」などと言ってる場合では現代の同人誌購買者はない)普通に面白かったです。
 
 それにしてもあんなに可愛い大野さんがそのうち資本によって穴へと読みかえられてしまうのだろうと思うと憤ろしくって仕方がない。
 やっぱ革命だな。
 ・・・・にしても実は田中さんの絵は微妙に控えめだったのですな。はあ・・・・・・(おおきなおっぱいを前にしたとき、誰もがつく、感嘆のためいき)。

6月26日(木)  とりあえず更新。
 いや、観音悠歌さんがログ消してしまわれたので焦っておるのですよ。
 そこで、彼の人へのメッセージの含まれている分はオフ会までに更新しとかんと、と思いまして。
 オフ会、徹夜オプションがあるのならば飛び入るかも知れません。

6月25日(水)  髪から蚊の死体が出たッ!
 いやなんかね、髪洗ってたらね、手首に蚊の綺麗な死体がついてたのですよ。ホラー。

6月24日(火)  秘密会議。
 まだひみつ〜。

6月23日(月)  抜けないエロゲに意味はあるんでしょうか? その2
 こちら
 そうなんですよいたる絵エロいんですよ。虚心坦懐に見れば。
 若さ故の過ちでした。賢しらぶったってなんもいい事ありゃしないっちゅーねん。

>本道
 そうですね。で、その本道に従われてしまった時に語るべき言葉がないのをどうしよう、と言うのが我々の問題意識ではなかったでしょうか?
 我々って誰だ。

>お姉様
 最近話題の先輩♂が、どうして自分はSF研ここ十年で一番の美女(byデイビー)をゲットできたのか、を語る中で「SF研の連中はオタク女が嫌いだからな」「そんな事誰が言ってました?」「XX(俺の本名)かな」とか嘯いていたらしいのですが、こういう理念的な問題と実践的な問題のレヴェルを混同されると大変困ります。
 俺が俺である事で俺でありたい、という、まあつまりは自己実現の欲望が、他者性を経由して、やっと不完全な形で満たされうるというその事態こそが許されないのであって、そのような経由される事を強いる他者性の現れとして趣味を同じくする異性はもっとも象徴的だ、というだけの話と目の前に現れたまあ話の合う女の子に欲情するかどうか、というだけの話はどちらもそれだけでしかない、という理由により全く矛盾しませんのに。
 そういう繊細な男心を分からない無神経さが恋愛・結婚には必要なのだなあと思うのココロ。
 よくよく『げんしけん』とか一生読めなそうな人だなあ、俺。

6月22日(日)  野球の話
 そうですねえ、俺もしたいです。
 プロスポーツと法律の問題をどう考えるべきなのかとかお聞きしたいです。
 プロアマ規定に限らず、ドラフト制度とか、連盟加入料三十億とか。
 とりあえず松井とイチローについて言えば、才能のスケールが結局違うのだと思います。
 松井の才能ってのは、たまたま90年代後半に同時代で一番飛ばせる日本人打者だった、というだけの事でしかなく、王や落合の偉大な記録には比肩すべくもない。
 イチローってのはでも、日本の球史で最高のアベレージヒッターなわけです。実際、張本の記録は塗り替えたわけですから。
 因みに
田口・・・マイナー
新庄・・・一割台
松井・・・二割台
イチロー・・・三割台
 という現状はそれぞれのバッターの格に対応してはいると思います。
 ただ、松井はなんにつけても時間のかかるタイプの選手なだけに、最終的な成績、渡米の成功・失敗を語るのは早すぎるでしょう。なんせ彼は大物とはいえルーキーで、そしてまだ六月なんですから。

6月21日(土)  四葉、お誕生日おめでとう
 胸を張って贈れるような何かがあるわけでもないけれど、イギリスの空の下で君が俺と出会う日まで健やかに暮らしていてくれる事を祈っています。

 君の誕生日に、とりあえずこの更新を捧ぐ。

6月20日(金)  まとめてフォロー。
6/18に。
 そいや聖さま高山説とか出たのでした。より正確には出したのでした。金髪だし。垂れ目だし。
 となると栞は大森かッ。WJプロレスは修道院かッッッ。
 そんなわけで今後、聖×栞のカップリングをノーフィアーと呼ぶ事を提唱したい。真壁が景ね。
 いや、まあ男の子のための『マリア様がみてる』って話でありつつ、何故小橋が相手を持ち上げたままリングを一周しなければならないのか、一枚絵における時間性とはなにかという話だったのだけれど。つまるところ高山のニーリフトを高山の巨大さが分かるように描ければあなたの勝ちです。ていうか大槍葦人のIRCチャンネルでの最大の収穫は長澤コズモさんの知己を得た事だって言ってたくせにどうしてプロレスの話が分からないんだ。
 旧三薔薇がそれぞれメジャー三タイトル(IWGP、GHC、三冠)である、というのはここのところの三冠のショボさとか含めて説得力のあるアナロジーではある。
聖=高山
蓉子=小橋

江利子=橋本。
 江利子をオチにすればなんでも済むと思ったら大間違いだ。

 ゾーンについてはここにある通りですが、あそこでの会話で出てきたのはもちろんサルトルです。ラカン出てきてないよ。
 独歩が見出した「風景」とは「自然風景」ではないです。そういうのって普通「景観」って言わない? 歴史的に言えば文明開化の嵐の中で再編された江戸的なそれとは相異なったリアリティの事なんですが、そこはもうちょっと自分に引きつけていい。
 あと、「らしいなあ」とか言うな。中途半端な相対化が一番イカンと何度も何度も何度も口を酸っぱくして言ったでしょう!ていうかマーケティングの話になった理由はアンタがなんも考えてなかったからじゃん。
 このかの存在が変質したのではなく意味が変わったのだ、というのは結構大切なのでそのように。今回の「ネギま!」には赤松健は絵は可愛いのになあ、とか思いました。もうね、アフォかと。デコくるわー。デコ。

6月19日(木)  つまるところ
次回予告のスベスベマンジュウガニの方が気になるんです。

 えー、『サイバーフォーミュラSIN』というOVAがありまして。
 これがどういう話かと言いますと、TVシリーズ、11、ZERO、SAGAとグランプリを四度征した風見ハヤトがナイト・シューマッハはおろかミハエル・シューマッハにすら匹敵する偉大なドライバーにいつのまにかなっていた、という事態にブリード加賀が全力で刃向かい、都合よく勝利する(そこはほれ、サイバーやからね)という、なんとも困ったお話で。
 ジャン・アレジ(って覚えてる?)ばりに地中海に浮かべたクルーザーの上で婚約者と裸で戯れたりとハヤトの調子こきっぷりも凄まじいのだけれど、このOVAの一番の問題点は、全てのサイバー関連作品の中で一番面白い、という事に尽きる。
 アルザードがどんなに速いって言ってみたところでね、ハヤトとアスラーダのコンビにはそもそもかなうはずがないんですよ、ええ。なんせヤツら主人公ですから。
 SAGAまでは全部宛がわれた当て馬にハヤトとアスラーダがご都合的に勝つ話でしかないと言えてしまうわけで、そこに負けるかもしれない、勝てないかもしれない緊張感て実はないんですね。ハヤトとアスラーダが主人公であるという説得力にどんな相手の説得力も敵わない、と言ってもいい。だからこそ、加賀さんの挑戦には絶望的なまでの緊張感が色濃く付き纏う。
 種のコーディネーターの設定は、つまりこのSINの境地からスタートしたい、という福田監督の意思の表れではなかったかと思うのだけれどそれは無理です。
 天才に敵わない秀才が歯噛みする話ってのはかように全く以って文脈力でしか支え得ないのであって予めそのような文脈をやよいというキャラクターに折り畳んで収納しておいたのは上手いと思いました。
 で、そんな凡才二人の話のあとにしーぽんと光太のラブシーン。天才の中の人はいい事あるんですよ、歩いてるだけで。光太が女の子ひっかけるために適当な事言い散らかしているのにあっさりだまくらかされるしーぽんに、「女ってのはどうして優しいふりをしているだけの男には騙されるんだ」という作っている人のリアルな疑問が伝わってきました。
 こういう爽快感を伴わない無力感の演出が上手すぎるところが佐藤竜雄を評価しつつ憎む最大の理由です。
 以上、一日遅れのしーぽん祭りでした。

6月18日(水)  大和物語・下・百四十八段
ですね<出典。
君なくてあしかりけりと思ふにも
いとゞ難波のうらぞすみうき

 かなりいい加減な事を言い散らした気がするので、フォローをば。
 「住み」と「澄み」、「憂き」と「浮き」は非常に一般的に行われていた、掛詞の代名詞的でさえある掛詞ですが、この場合必ずしもそれが用いられているとは言えません。
 「あし」と「難波」は縁語ですが、そもそも『大和』の百四十八段は難波を舞台にした物語なので、縁語としてあえて持ち出されたかどうかは議論の余地があります。それは、『大和』のテクストをどう読むかという問題を含めて。
 詞書に毛が生えたような『伊勢』の章段(百二十五段「昔、男、わづらひて心地死ぬべくおぼえければ」とかもうどうしようかと思います。『伊勢』は歌で言えば「月やあらぬ」がご多分に漏れず一番好きなのだけど、章段としてはこの身も蓋もなさが極めて愛しい)と違い、『大和』の下巻は古くからの伝説に取材した創作の色が強い、とされています。
 ・・・いちおう学科での訓練は身になっているのだなと思うの巻。

 しかしこの日記のために『伊勢物語』を読み返したのですが、この「男」ってのはヒドい奴だ。女心を弄ぶだけならまだしも(十分ヒドいけど)、人死に出してるからな。
 「筒井筒」とかは幼馴染属性の人にはおすすめかも。「すける物思い」とかもリアル『エマ』みたいな話なので、その筋には。
 第百二十四段も良いなあ。
「昔、男、いかなりけることを思ひける折にか詠める。
 思ふこと言はでぞただにやみぬべき
 我とひとしき人しなければ」
【現代語訳】
「昔、男がどんなことを思った時に詠んだのだろうか。
 思っていることは言わないでそのままやめてしまうべきだ。
 私と同じ人間などいやしないのだから」
 ホントにもうどんなことを思ったのやら。

6月17日(火)  何故武嶋蔦子はカメラに写らないか、あるいはビュイックさんは眼鏡を外して死んだか。すなわち、こがわみさき『魅惑のビーム』の感想文。
 眼鏡であれカメラであれ望遠鏡であれ、光学器械とは見る人間的主体を見られる対象としては隠蔽する装置なのであります。
 眼鏡を掛けた少女を私が見る時、私は眼鏡を見るのか少女を見るのか、それは全く以って決定不可能なのであり、眼鏡を掛けた少女は眼鏡を掛けた少女という、少女以上の何かとして私の前に立ち出る。
 一方、見る主体としては、眼鏡を掛けていようといまいと少女は少女なのであって、そこ、私と少女の間には、決定的に非対称的な視線の関係が存在する。このような光学器械を介して隠蔽された主体が座す、一方的な視座。それこそが近代のまなざしそのものであった。圧倒的に一方的に見るものを、我々はまた、神とも呼ぶだろうし、科学とも呼ぶだろう。
 そのような”視点”である事に挫折した地点でビュイックさんは死ぬ。だから、彼は最後に眼鏡を落とす。そのような”視点”である事を頑なに放棄しないからこそ蔦子は姉妹を持たない。持てない。
 「魅惑のビーム」の最終三ページで何が起こっているのか、もまたこのような眼鏡の意味論から考えられなければならない。高梨が最後に最も美しいその理由は、高梨が眼鏡を外したからではもちろん全くない。それは、亀田がレンズの向こう側、高梨の視座に立ったからこそだ。世界を美しく見ている高梨は美しい。見ているから美しい高梨の美しさの前で、亀田が彼女を眼鏡ごと見ていた事なんてまあ、もうなんでもないわけですよ。その瞬間は眼鏡をしていない高梨がしかし、だからこそ眼鏡越しに見るものとしての美しさで輝いているという逆説。一方的で圧倒的な眼鏡っ娘の視線に同一化する事で、亀田のちっぽけな主体は消し飛んでしまっている。圧倒的な美少女に、恋するよりは帰依したい、そういうタイプの夢、自己実現をこれほど具現化した漫画ってのはやっぱりちょっとない。最高。

6月16日(月)  さちこさま
 豊乳やって本文に書いてあるやん。
「お胸はかなり豊かなほうらしい」(一巻42ページ)
 かなりというのはかなりですよ、ええ。
 検索してみると分かりますが、豊乳ってのは普通、肥満女性のあまりに巨大な乳房に対して冠される形容であります。
 祥子さまは無論、おでぶさんではないわけで、にも関わらず豊乳と呼ぶしかない代物をぶらさげているわけですよ。これを超ゴイスと呼ばずしてなんと呼ぼう?
 ていうか祥子さまはやたらにガタイがいい(一巻のイラストとかどーみても180くらいあるよね)ので胸もそれなり以上には大きいはずです。

 みつみ美里ちゃん様のマリみて感想。
 『マリア様がみてる』が男の子が男の子としたい事を女の子と女の子に仮託した代物だ、というのはこれは最早常識に属する話だと思うのだけれど、そのようなものとしてソフト百合が求められる背景には、男性社会の根深いホモフォビアが勿論あるわけです。まあ、ですからして、『マリみて』ブームもオタクが保守層の現代的な表現形である事の一つの典型的な事象だってのは妥当ではあるのでした。
 ただ、気をつけなければならないのは、ここで抑圧されているのは同性愛的傾向そのものではなく、かつては少年漫画で称揚されていたような、暑苦しいまでの友情である、という事。それが男性同性愛に読み替え可能だと一般的に認知された=やおい市場の存在が表面化した瞬間から、そのような友情はホモフォビア的な抑圧の対象になってしまったわけで。「クリリンのことかーっ」というような友情は90年代の入り口で既に不可能になっていたわけです。参考資料。
 サンライズの美少年路線、一転して『エヴァ』以降の萌え時代という流れはその延長上にあるわけで、天下一武闘会的ジャンプイズムは我らの世代が物心つくちょうどその頃に終わっていた、と言うべきだった。その名の由来となった『DRAGON BALL』だけは伝統芸能として続いていたにしても。それはつまり『幽遊白書』が『ジョジョ』的な属性バトルへとスライドし、天下一武闘会路線に戻ろうとした瞬間に作者の精神が耐え切れなくなったのと軌を一にしているのだけれど、それはまあ、それ。

これこれのおかげでコックスが二軍暮らししている事に微妙に感謝する(試合見てても変な気分にならないからね)日々なのだけれど、「ホル」トに「コック」スだけでなく、「マラ」ベって外人もそういやいたなあ、と思い出す。横浜フロントって一体。

6月15日(日)  さんくり
にはいきませんでした。
 が、何故かその後の飲み会には参加。
 パッケージデザインの話を延々としたわけだけれど、わからないですね、売れるデザインって。
 売れ行きの最大決定要因が「隣の人が買ったか否か」である事は最早常識と言ってかまわないと思いますし、そのような理由で売れた商品にパッケージデザインもクソもない。
 だから、売れた商品を外から眺めていただけでは分からないわけですよ、パッケージが効いたか効かなかったかとか。
 本来三千本のところをパッケージが良かったので三千百でたゲームとかはあるんですよ、多分。
 でもそれは傍から見る分にはたかだか三千百本のゲームでしかない。
 なんかなー。だからやっぱ、センスになっちゃうんだろうなあ。

6月14日(土)  宇宙時代に生きる萌えッ娘はちょっと要領悪くてボールを拾うとすぐコリオリ力計算しちゃうの。 その1
 大森・豊崎批判の続き。前回は舞城に安易に騙される豊崎批判だったので、今回はスペック萌えする大森批判。
 スペック萌えってのは萌えオタとしてはかなり恥ずかしい、設定だけで萌えって言っちゃう行為の事であり、昔っっっからSFファンてのはこれをやる。それはまあつまり、それがそもそもティプトリーやル・グィンや新井素子に萌えるためのメソッドだったからなんだけれど。それは「真実の七瀬優は俺の中に事前情報で作られた七瀬優だけだ!」というタイプのアレとは違う。設定くらいしかない、殆どゼロの地点から俺とあの娘の物語を紡いでいく、というのはそれはまったくもって正当なキャラ萌えであって、その程度の妄想力もなく萌え萌え言わないでいただきたいのだが、物語内で提示はされたが十分に説得的には展開されなかった萌え属性をとらまえて「このような属性があるのでこのキャラは萌えキャラである」と客観的に認定するような行為はやはりそれとは違う。
 何故ならそこには「俺とあの娘」が存在しないから。
 SFとはそもそも超越的な何かが美少女の姿で現れうる、その確信を明確に形あるものにせしめたジャンルではなかったか。
 例えばスタニスワフ・レムの諸作品。何故レムが描く女性はああまでも魅力的なのか、といえば、それはどこまでも超越的な何かの依代でありかつ一個の人間である、という両義性がきちんと描かれるからであって、両義的―どころか多義的でさえあり、かつそれが善であるところにこそ、美少女の美しさは由来するのだ。
 ここから現代的な美少女、二重の回収不可能性の彼方にある美少女まではあと半歩だ。『ソラリス』などではレム自身、この現代的美少女像に到達していると言うべきだ。
 美少女とは超越の現れであり、超越とは美少女の現れである。
 であればこそ、超越として美少女を語ろうとすれば、超越を垂迹としてその彼方にある本地の美少女が、美少女として超越を語ろうとすれば美少女を垂迹としてその向こうにある本地の超越が立ち出でるため、美少女=超越はそのどちらのアプローチの言説にも回収されえない。
 美少女を美少女として、超越を超越としてのみ語ろうとすればそれはそれらの超越あるいは美少女としての側面を見落とすばかりだ。
 だからこそ。「俺と」と言うパースペクティブの導入が必要になる。
 続く。またか!
 尚、今回の表題は《クレギオン》に取材しましたとさ。

6月13日(金)  抜けないエロゲに意味はあるんでしょうか?
 『AIR』やり直してきちっと抜いとくかなあ。いたる絵で抜くわけには、みたいな変な頑なさが、あの頃の漏れにはあったのでした。
 元SF研のくせにーとまあ、そういう揶揄は思いついてしまうわけなんですが。
 男性主体ではなく人間主体ではありますが、主体の消去は小説で言えば『ニューロマンサー』が圧倒的に先行します。『スキズマトリックス』もそうでないと言えない事はない。そのサイバーパンクの二大経典から『ブラックロッド』を経て『ブギーポップ』、というのは偽史として中々に実しやかでイイ感じ。
 SFが好き、ってのはSFというものを生み出しえた人類の精神が好き、って事であって、そのSF的な精神はジャンルプロパー的価値観を超えたところでプレイヤーのようなエロゲ特有の問題をも語りえるはずなんです。
 それはまあただの妄想なので置いておいて。
 それこそサブカル的な言説でですね、『AIR』みたいな山っ気のあるゲームは語れてしまうわけです。
 が、例えば『人妻コスプレ喫茶』は同じようには語れない気がしてしまう。《淫渦芯拳》シリーズとか聖少女作品とかはまだしも明確に反動的なだけ語り易かったりさえしますが、『人妻コスプレ喫茶』のような、キャラクターごとにきちんとシナリオが分岐して、予想の範囲内とは言え波乱もありつつ日常的な楽しみもあって、エロシチュ、萌えシチュも十分用意してあって・・・みたいな良作は語る切り口がない。そこにこそジャンルの中心的な問題はあるはずなのに。
 女の子って問題も切り出し不可能なんですね。作中で十分彼女達は満たされてるから。

 一つ、気付いた事として「右手にマウス、左手に男根、淫乱野郎相手にヌキまくれ!」ってのはいい言葉だな、と。
 オートモードってまるで興奮しないのね。自分のペースでクリックしないとダメ。そうでなければエロくない、なんらかの理由ってのは多分あって、それはそうなるように作られているという事なのだと思う。で、そうなるようにってのは多分、ただの経験則によるはず。そこをどう理屈として把握していくかあたりこそがエロゲ論の本筋なのだろう。

6月12日(木)  使う予定のなくなった千円札を引き出して呟く。「僕は、自由だ」 その1
 ↓その使い道。
 DNA『MELTY BLOOD』。
 シオンのデザインは正直秀逸だと思う。スカート短いとことか。
 あと、揉み上げがないとおばんくさい。
 なんでまた今回は村瀬?
 全体に普通だけれど、はじめて、ベンジャミンの漫画を良いなあと思った。 

 舞城王太郎って非常にジャンル純文学のコードに忠実な作家で、セックス&バイオレンスに血族サーガ絡めてちょこっと聖なるものへの予感でも混ぜておけー、で作品を量産しているわけですよ。まさに萌え要素の順列組み合わせ。
 ジャンルフィクションとしての純文学ではない文学って奴を目指している佐藤友哉にとってそれは許しがたい欺瞞なんだと思うのです。だから、彼は打倒舞城王太郎を叫ぶ。あれは多分、ていうか全然、ネタじゃないんだろうと思います。
 だから、舞城に関する限り悪意を信じているというのは当たっているのでしょう。悪意、というかつまりそれは裏返された「常識」、ただの反常識ですけど。
(だからして、うえお久光が信じているものもまた明らかになるわけで、それは「交換価値を持たないトラウマの実在」だってのは今木さんの議論でも既出なのか。で、その問題は清涼院が解決済み、と。むしろトラウマが交換価値を持つ、という事こそが本来奇跡なのであって、フィクション内でのその奇跡が見る影もなく陳腐化した状況へのカウンターとして、交換価値をもたないトラウマの提示はその各時代において主流を占める通俗的フィクションに対する痛撃として機能するんですよ、殆ど必然的にね。言い換えれば、文学的な価値を持つって事です。って奴を見せるのが純文学ですから。それがたかだか反常識なのか、本当の現実(プッ)なのかはまあ、場合によりけりですが。ディッシュは陳腐化し、エリスンは普通に読めるってのは多分そういうことです。
 『悪魔のミカタ』はウェルメイドな反常識小説でしかないと思いますがね。なんだかんだで論理や面白さは信じてると思うし。パズラーとしての甘さって甘さがあっても面白かろう、という信仰の反映でもありえますから。
 だったらね。作品そのものを作家の本来交換不可能なトラウマを解消するための魂の巡礼に仕立てるくらいはしてみろと。『フリッカー式』みたく。あれはS-nery通ってない奴にはなんの話か分かんないはずなんです。で、S-nery通ってる奴なんて実質的には0。でも、そんな0へと向けて放たれた物語がS-nery通って来た俺に(ミステリなんか殆ど読まないこの俺に!)偶々届いたという、この奇跡! それに比べれば、交換不可能性を作品内の要素としてうまく提示できましたなんてのはまあ、良く言って陳腐なエンタメです。さらにそこにその”現実”であるところのそのようなトラウマを背負い込まされたみーくるの面々への作者の思い入れが被るとなれば! 以上、余談)
 ああ・・・っと、余談にかまけてるあいだに本論見失った。ので続く。
 なんか、言いたい事はお前ら全然分かってねえ!って事らしいぞ。
 ソースはここここ
 一度観音悠歌さんとは我らの世代について語り合ってみたい。
 まあモテ系・真正インテリ・ブルジョワジーの彼と非モテ系・似非インテリ・プロレタリアートの俺では階級が違いすぎて見えている世界がまるで違うのかも知れないけれど。とりあえず俺の所属する階級と世代が、マルクスをおさめていない事に大きな負い目を感じるものであるのは確か。マルクス主義的な文学観には流石に立たないにしても。

6月11日(水)  第二次人妻祭り
 SF研は今、音を立てて下半身事情の風通しの良いサークルに変貌しつつあります。要はそんな話をば。
 ひとしきり飲んだくれたあとのしおりの家での深夜の語らいこと物真似大会のなかで、人妻の真似がξの真似並に上手い自分に気付く。びみょ〜んな気分。

 あの髪型と釣り目アラシって名前はマズくない大川先生に怒られない訴えられない?
 何故頼子。

6月10日(火)  FSS再開
 前々から思っていたのだが、月16ページってのは少ないよな、正直。毎月一冊単行本を出して欲しい。
 ・・・流石にそれは永野が死ぬが。
 口絵の紹介読む限り、ナイアスすごい可愛いっぽいなあ。
 可愛い隊長さんのご機嫌をそれは見事にとってくれちゃいそうなヨーンくんのたらしっぷりに期待が高まるが、そんなのが読めるのは何ヶ月先の事なのやら。
 来月に迫ったヘアードの活躍をまずは期待したい。・・・活躍しないかもなあ。あっさり死ぬかも。

6月9日(月)  健康診断
 体脂肪率三割超えてた。
 流石に危機感を覚えた。

6月8日(日)  人妻祭り
 ビッグサプライズとしか言いようがなかった前日の結婚発表を受けて、緊急飲み会。とてもここには書けねえような話ばっか。

 人妻であれメイドであれアンドロイドであれ妹であれ、何故人は人のようでいて人でないものにしか、反応できないのか。
 その人のようでいて人でないもののもっとも一般的な形が男と女ですね。
 まるごとの人間とまるごとの人間が愛し合う、という事態はこの物質世界では不可能なのではないか、と思われる。
 まるごとの人間とはそも何か、とかそういう難しい事は聞くな。

6月7日(土)  メッセージtoA.Y
 今日の結論は、「必然性」です。
 その線が引かれる、その色が塗られる、そしてなによりその絵が描かれる必然性。
 メディアとジャンルを問わず、フィクションは創意をその第一動因とするほかない。第一動因とは何か、は自分で調べてね。ここでは合目的性と深い関係を持った何かだ、とだけ言っておこう。
 さて、「現実」には存在するかどうかわからない第一動因が確実に存在するフィクションにおいては、「現実」の解釈モデルとしては大分昔に廃棄された合目的性モデルが確実に生き残っているものと考えてさしつかえない。
 言い換えれば、一枚の絵とは細部にわたるまで合目的的な意思によって統御されているべきである、という事になる。
 良くあなたが言う、XXさんっぽい塗り、もまた合目的性から読み解かれるべきで、何故そこにその色が置かれなければならないのかを考え、了解して取り入れるのでなければ何も取り入れた事にはならない。
 まったくもって内的必然性なわけだが、いくらアリムラユウが一切のアナロジーを理解できないからって絵画理論を持ち出しゃいいってもんでもねえと思うぞ。
 そういう風にして絵を描いている人、というのは身内ではなんと言ってもしとねになるわけだが、彼がそのように描いている何よりの証左は、「どうしてここはああしなかったのか」と聞くと「それも考えたんだけどxxだからああせずこうした」と答えられる事に他ならない。
 何故そうするのかよりも何故そうしないのかの方が考えやすいのは確かだからして、そっちの方から考えてみる事をおすすめします。
 具体的な作業としては、一枚の絵につき、ラフを少なくとも三枚は描いて、そのそれぞれを見比べて、何故その一枚を選ぶのかを明確に言葉にしたうえで選ぶ事。描いては消しを繰り返すくらいなら消さずに次の紙に同じ絵の違うラフを描くべき。
 それから、海しか思いつかないと言うのならば海の絵だけをいっそ描け。
 京極派歌人の頭目、京極為兼(玉葉和歌集選者)は歳暮百首、立春百首などといった試みを通して言葉と自分との距離を測る事を学んで行ったという。「歳暮」「立春」のごとき、冬歌・春歌の中の一つの題でしかないもので、集中的に百首を、言葉は悪いがでっちあげる。それが対象の把握の深さと確かさに繋がっていったという。


 ヅマゲーの話を書いてでかけたSF研の新歓コンパで先輩♂と同期♀の結婚話を聞かされる、シンクロニシティ。
 めでたいとかなんとか言う以前に驚いた。驚きっぱなし。
 割合に人間関係のべたべたしたSF研に、そこそこ強い帰属意識を持ちながらも趣味の仲間としての実益しか求めない同期♀に男がいそうな予感はかなり前からあったのだが、それがまさか先輩♂だったとは。


『行殺☆新撰組ふれっしゅ』
 こいつは中々に幸せな。
 副長狙いで行きますの。

 ・・・と思ったんだけどぉ。
 池田屋で終わったら萌えないじゃん!
 土方さんを選ぶって事はアレですよ、当然五稜郭で枕を並べて討ち死にしたいって事じゃないですか!
 あと、芹沢暗殺とか山南切腹とか!
 「それただの謀略マニアなんじゃないの・・・?」ってとこに入ったヨゴレっぷりがたまらないんじゃん!
 スタッフは士道不覚悟なんじゃにゃいかにゃー。
 いや、メインヒロインはあくまでゆーこちゃんであって、近藤さんの活躍って池田屋あたりでほぼ終わりだからそれはそれで必然なのだが。
 尚、史実の芹沢暗殺に加担したのは近藤、土方、山南、原田、沖田。ゆーこちゃんやそーじにそんなヒドい事はさせられないよね。

6月6日(金)  今日は『凌辱女教師』じゃないんです!
 正直『凌辱女教師』もうどうでもいいんですが。『人妻コスプレ喫茶』の方が萌えるしな。『妻みぐい2』『人妻×人妻つまつま3』『人妻コスプレ喫茶』となんかここんとこヅマゲーづいてます。『凌辱ニュータウン』もやり直そうかな。
 『人妻コスプレ喫茶』は聖亞さんが可愛くってしかたないのに涼華さんのファーストプレイでバッドエンドに直行してしまったため、守ってあげられなかった気持ちが募って募ってしょうがない。助けてあげてください。

 そういやソガさんにお会いしたとき、最近の携帯は殆ど『La neige』の世界ですよね、とか抜かしてたのでした。言えそうで言えない事を言えてしまう人にお会いできて楽しかったです。
 とりあえずリアルなエロゲーの中の人はこのシリーズには触っておく事。ある種の極北ではあるから。
 それはそうと、こんなん見つけた。そうなのよ、このCFのカッコよさに未来が見えたのよ。タスクランチャーってXP上でも動くのかなあ?

 いかにも俺がコメントしたそうなhttp://d.hatena.ne.jp/laylain/20030606#1054861537辺りはとりあえず置いておいて、軽めの更新で。
 元長柾木って人は可愛い女の子が出てくるお話を書くのが楽しい人ではあるのだろう、と思います。

6月5日(木)  雑誌類。
 ピュアガコラム。
 ええっと・・・ごめん、夏の原稿のネタ先にとられた>マシュウ
 うん、ゲーム的美少女ってサイバーパンク的なマン―マシンインタフェイスの問題ですね。

 SFM七月号買っちゃった。金ねえのに。
 小説は後回しに、次世代型フィクション・ガイド。
 ライトノベルSF。いくらなんでも日和りすぎ。紹介文もシャープじゃないし。SFプロパーの吉川はそもそも入れるべきじゃない、という一点を除けば、作家のセレクトに納得はしないではないけど。いや、しないけどな。今更こばめぐにフルハシかよ、とは思うし。しかもその二人の駄作を挙げるプレイももう。
 紹介している奴はやる気あるのか。
 ライトノベルファンタジィ。最近のは触ってないのでなんとも、というところだが、どこがどうSFなのかが伝わってこない。
 ミステリは『コズミック』の古さが気になる。いやその頃の作品で黙殺されがちな重要作品て他にいくらでもあるわけで、『コズミック』だけ依古贔屓するのは・・・・。
 純文はよくしらにゃいのでパス。
 漫画は無難。
 アニメ。センス悪すぎ。選んでる人がその人なりに本気だってのは分かるんだけど、ねえ。
 ゲーム。正直このガイドの白眉ではないかしら。『AIR』に関する「美少女ゲーム特有の萌えや泣きという要素の向こうを直視すれば」なる記述には違和感が残るが。っていうかそんな風に言っちゃわないところからはじめないと「俺と観鈴ちん」についてなんにもはじまらないじゃん。

 全体に、この記事で紹介されている前の世代の作品の紹介もされるべきだ、と思った。
 ゲームだったら『NOëL』とか、ライトノベルSFだったら《蓬莱学園》とか、ライトノベルファンタジーだったら《魔術師オーフェンはぐれ旅》とか。こばめぐだってSF的に一番切れてたのは《ねこのめ》あたりだし。無論、フルハシの凄味は《ケイオスヘキサ》にこそあるわけだし。
 いちおホームグランドのライトノベルSFとアニメに関して俺なりのセレクト。
・ライトノベルSF
 時雨沢、小川、長谷、上遠野(《ナイトウォッチ》を選んだのはぶっちゃけ「デュアルだから」でしかないのだろうが、正解だと思う)、沖方は通し。
『ラスト・ビジョン』
 こんなん作ったくらいですし。世代的にも圧倒的に若いし、まさにそれっぽい感性でもあり、端正でその上野心的。これを推さずして一体何を。
『イリヤの空、UFOの夏』
 秋山はむしろこっち。徴候的だから。好きか嫌いかって聞かれたら嫌いだけどね。
『暁の女神ヤクシー』
 こばめぐでSFならこれか《ねこのめ》。
『悪魔のミカタ』
『天国に涙はいらない』
 SFかっつーと微妙なわけですが、外せない。キノが入るんならありなんじゃないかな。
・アニメ
 ロビンたんとアラシたんとしーぽんは通し。
『キングゲイナー』
 何故入っていないのかと小一時間。御大将の「メカと美女をつなぐ男」なるコンセプトはまさしく今日の日記冒頭の元長説とパラレルな関係にある。
『the ビッグオー』
 『チュチュ』の代わりに、物語論SFアニメの傑作として。
『NieA_7』
 ガジェットと物語性に頼らない分『灰羽』より高い達成ではある。
『ほしのこえ』
 徴候的。
『銀装騎攻オーディアン』
 センス・オブ・ワンダーな物語の形として。
『OH! スーパーミルクチャン』
 すごい。GAで喜んでる場合じゃない。
『ジーンシャフト』
 正統派のSF。

 も〜え〜る〜

6月4日(水)  某所で某。
ソガさん
 あまりおかまいもできませんで。
 また何時でもお越しください。
 なんだか元長さんが書いているSFマガジンなど手に入れましたので、次はそのあたりをネタに。

6月3日(火)  『凌辱女教師 〜麗人転落篇〜』(舞花) その4
 呼び込まれた抑圧が、抵抗の真実性を保証する。ここで初期キリスト教教父たちの殉教にまつわる教説を引きたいところだが、めんどいので略。各自補完しておくように。
 ギャルゲーム性が動き出した物語に無残に轢き潰されていく瞬間に起こっているのは、つまりそういうことだ。
 特称肯定命題は主語述語ともに包まれていないが、特称否定命題の述語は包まれている。特称的なギャルゲーム性を抱えたユーザーたちは、それが否定される事によって外延として包まれる。
 この先はオートマティズム1とか参照の事?
 ここで僕は『凌辱秘書室2』(であると噂される《淫渦芯拳》シリーズの次回作)を物語的な興味で楽しみにしている、と告白しておきます。それはもう、MAIKA公式掲示板の人々同様に。

 こうしてようやく我々は、我々ギャルゲー世代のための『FSS』を語る端緒に就く事になる。
 年表により、予めギャルゲーム性の抑圧された作品世界の中で、それでも我々は思い入れる。クローム・バランシェに、アトロポスに、アーレン・ブラフォードに、ダグラス・カイエンに、ジャコー・クオン・ハッシュに。もちろん、ヨーン・バインツェルにもランドアンド・スパコーンにも。
 続く。

6月2日(月)  『凌辱女教師 〜麗人転落篇〜』(舞花) その3
 呑み過ぎたので自主休講。

 『凌辱ニュータウン 〜人妻狩り〜』は『凌辱秘書室』美花エンド後の物語な訳だが、俺であるところの七鬼大牙は青葉とラブラブな新婚生活
を営んでいるのではなかったか。あるいは風雅エンタープライズの女たちを侍らせてハーレム暮らしを送っているのではなかったか。
 『凌辱ニュータウン』は、『凌辱秘書室』で達成された複線的な=マルチエンドの豊かさ、ギャルゲーム性の充足を否定する事ではじめて成り立つ物語であると、まずはそう言える。

 さて。
 前回の「BSマンガ夜話」内「夏目の目」にて、夏目房之介は『ファイブスター物語』のコマ割りの理不尽さ、視線移動の非単線性について語っていたわけではあるが、そもそも漫画における時間とは非単線的に、複線的に流れるものである。
 嘘だと思うのならば適当なエロ漫画を持ってきて、濡れ場のコマを朗読してみるといい。喘ぎ声と擬音をどのような順番で読むべきなのか、それは一意には決定できないはずだ。
 台詞と書き文字と、そして絵と。漫画内では一番荒っぽく考えても最低三つの時間が並行して流れている。夏目の視線理論はこの複線的な時間の流れを単線化するためのものであり、だからこそ漫画が読めない活字人間に対して有効性を持つわけだが、同時に単線的ではない漫画の時間を前に、ある限界を露呈せざるを得なくもある。
 それがつまり、「分からない」という番組内での発言に繋がる。
 何のことはない通例ならばコマ内に押し込まれるべき複線的時間が、コマ割り、そしてストーリー全体へと流出し、敷衍されているだけの事だ。
 その意味で、非漫画的と思われがちな『FSS』は実のところ極めて漫画的な漫画であると言えるだろう。
 しかしこの、暴れ馬のような複線性を縛り付ける強力に単線的な時間が『FSS』にはある。
 年表である。

 物語がギャルゲーム性を抑圧する。それは《淫渦芯拳》シリーズに即して見て来たところであるが、物語が立ち上がり、ギャルゲーム性が抑圧される瞬間に何が起こっているのかここでもう一度考えてみたい。
 続く。続くの?


  やるヌキッて月曜に移ってたんだへー。来週は根本はるみだってさ。

6月1日(日)  ごめんなさい
のりのりさん
 斉藤千和に貞操を捧げた我らではありますが、森永理科も可愛いなあとか思ってしまいました。
 六年間お疲れ様でした。
 駒場祭翌日に目隠しプレイを教授されて以来、あなたは私の目標でした。

 で、毎回恒例本日の暴言。
「これがホントのみっくすJUICEじゃ!」
 詳しくは聞かない方がいいと思うよ。

 そのあとは桜君のやおい転向作戦会議とか。やっぱりこの制服この制服は良く似ている。同一世界観?
 身内に兄君さまがいないなあと春歌を不憫がっていた兄チャマですが、どうにも桜君は兄君さまらしいですよ。格闘技やってる女の子萌えとかなんとか言ってましたぜ?
 すなわち。
 さてはおぬし!?
 ディープリンクまずかったら言ってくださいすぐ外します。

 打ち上げで呑み過ぎて嘔吐の恐怖に打ち震えながら帰宅して就寝。
 キライなんだよね、ゲロ。つーか怖い。子供の頃は全然吐かない子供だったんだけど、同時に友達のいない子供だったので、物を盗むと評判の嫌われ者で無茶苦茶車酔いするタカユキと遠足とかのバスではいつも隣だったのでした。
 俺がした事のない、嘔吐。俺が出した事のない汚物。
 エチケット袋めがけてゲーゲーやってるタカユキの姿に、俺は言い知れぬ恐怖を覚えていたのでした。
 それは沖縄へ向かう船の中で嘔吐バージンを捨てた今も変わらないの。


>某所
 今週水曜日の午後五時から六時ごろならば本郷三丁目のカフェ・ド・クリエでマシュウアリムラユウあたりとたむろしているはずです。SF研水曜例会前の私的懇親会ですが、お茶会の例会も近くで行われているはずだったりしますが、それでもよろしければ。
 俺はこがわみさき『魅惑のビーム』かあびゅうきょ『晴れた日に絶望が見える』を読んでいるはずです。




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