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【2002年11月】

11月30日(土)  キネカ大森
 アワボスが映画だついてこい小僧っこども、とのたまわれたので、逝って来ますた。
 ソンさまかっこいい。

 あとはひたすらエロ文書き。

11月29日(金)  鳥居さんち的な。
 誕生日なんて偶発的な要素で俺に対する優位が主張できると思うなよ。
 はい山羊座1月11日氷上恭子と同じ日です。光GENJIの内海も。
 手許の資料によると、山羊座の少女とは安達妙子であるらしい。なお、蟹座の少女とは永倉えみるであったのでした。山羊座の妹は花穂。
 鈴凛のそのアニキイデア投影は、やってるかどうか微妙な気はするけど、やってるとしたら兄を思い出にしようとする営為なのですよ。現在を未来の過去としか捉えられない、後ろ向きに前へ進む感受性。アニキが喪われる事を前提に、事物にその記憶を貼り付けて、それ自体としてのアニキが喪われた時に備える。それは思い出だけは少なくとも守り抜く事、である以上に兄の存在を相対化して無化する試みなのだと思う。『百億千億』の癒し、というか星の光にくらぶれば、と言うか。
 それが蟹座特有の守り入った態度と言うべきかどうかは議論の余地がある。山羊座の俺のリセットボタンに常に指が掛かってる思考回路は、同形の論理を彼女の中に見出している。「しょせん一人!」の絶叫を最奥に抱え込んで、その上にアニキと発明を置いていると言うか。「しょせん一人!」と「星の光にくらぶれば」が直結すると下級インテリの宿痾である、慢性的な無気力が発症するのだけれど、そこを遮断するためにアニキと発明がある。
 彼女は近代人ですね。結局世界と自分のつながりを信じられない。彼女の神は死んでいて、代わりに神棚にはアニキと発明を飾っている。アニキが死せる祖父の代替物である、というのは実に象徴的ですね。だから彼女のストーリーには、でーりーだーのーおーりーぼーんー、じゃなかった亞里亞や雛子の兄ややおにいたまのような神話的作用としての兄ではなく、自分を持ったアニキが登場するのでした。
 で、自分を持ったアニキがパーティションとして必ずしも相応しくない事に鈴凛は非常に自覚的、と言うかそこにあえて意識を向けて無駄に一般化された思弁をこねくり回さずにはいられないくらいには彼女は頭が良かったりする。さらに兄を疑う事で、発明への疑義を絶妙に隠蔽しているあたりの、意識的なのかそうじゃないのか分からない感じってのも実に良く分かる。いや、油断するとその境界が崩れて「しょせん一人!」が露出しちゃうし、そんな時にこそ、彼女は泣くのであって、その涙を対岸の火事と見過ごす事は出来ようはずもないのだけれど。
 守りたいから守る、のではなく、攻め込む先がないから守る、というような。蟹座的精神とはちと位相がずれている気がする。
 そもそも。非占星術的なメンタリティが設定されてるって読みも可能なわけで、つまり占いなんかに逃げ込んだりはしないさ、俺たち兄妹は。

 さて、で俺と相性がいいらしい牡牛座の事ですが、彼女は結局何を妄想しているのですか?
 何故それは語られないのか、を我々はもうちょっと考えた方が良い。
 というかなんで「可憐とお兄ちゃん」じゃダメなんすか?
 春歌ってなんか、性生活でも結婚生活でもなく、兄君さまの出世とか子孫の繁栄とかそう言う事を考えていそうな気がする。そういう、些細で具体的で個別的で、つまらなくさえある事。あえて言及されるほどではない事。兄の属性に左右されるような、一般性に欠ける事。つまり、俺の事。
 春歌は生活力にも学力にも恵まれていて、地に足の着いた思考回路を持った、それこそいいお嬢さんなんですよ。お嬢だけど世間知らずではないし。
 それが兄を前にした時にはどうなるか……ていうか、実はどうにもならないんだけど。それはれぽあ9bで描かれた通り、普通の恋する乙女レベルで納まっている少女だから。彼女は。
 つまり春歌に関する最も重大な問題は、彼女がインセストタブーをどうやり過ごしているか、なのでした。
 答えはメタ妹だから、なんですけどね。
 これは、お兄ちゃんのことが大好きな9人の妹達と3人のメタ妹の物語……。

11月28日(木)  訂正。
 四葉は「妹にしたい」と言うよりも「妹にしてあげたい」と言う方が相応しい。「あげねばならない」とまでは言わないにしても。言いたいけど。
 四葉のBパートって絶賛の声は多いんだけど、安易に四葉を大地化しようとするコンテ演出の手つきのあざとさとか皆さん鼻につかなかったですか?
 俺はつきました、と言うよりも自分的に四葉を捉えなおして世界に提示する権利、を選りにも選って大地丙太郎に持って行かれた事に、嫉妬せずにはいられない。平松が春歌を平松化するのはさして気にならないのになあ。単に妹及び演出家の好みの問題でありつつ、平松性の方がアニメートという行為の本質に、より深く根ざしているからではあるんじゃないか、とも一応思う。結局効果音と背景だからなあ、大地臭いとこって。

 それはそうとれぽあのBパートは雨の上がる話が多い。雛子、花穂、春歌と。
 ここで指摘されているBGMが一種類、というのは四葉だけではなくBパートの多くに共通する特徴であり、それだけシリーズに統一感を持たせてゆく意志があると言う事に他なるまい。
 統一感の決め手は、原作の神話的な話法をどう生かして行くか、なのではなかろうか。存在に意味が貼り付けられて行くのではなく、意味が存在を規定して行く、そう言う世界。
 シスプリが描いているのは妹の欲望と言うよりも兄の機能ですね。
 それが一番現れるのは、最後の妹、亞里亞において。
 彼女はそもそも神話的な意味の連鎖の中で生きていて、「いつも亞里亞のいちばん近くにいるヒト」はじいやだし、なんと亞里亞が「二回眠る」と「サーカスの日に」なるのだ。時間が亞里亞を支配するのではない。亞里亞が時間を支配するのだ。誰だ今幼児的全能感って言った奴は。
 兄やは、亞里亞に”アイ”をくれるものとして規定され、規定された以上そのように振舞う。それが兄というもの。
 神話的な意味の連鎖の中では、空模様は直に妹たちの内心を反映しているのであって、それを晴れさせる兄は、まさしく「晴れの王様」であり、多分カエルさんは雛子を誘拐しに来たのだ。
 だから、春歌が兄に渡された傘を開くと空も晴れる。いいよね、そういうのって。
 これが噴飯物の描写に堕ちない理由はアニメが所詮は描かれた絵でしかないからで、そこに極めて自覚的な演出家として今川泰宏の名が挙げられるのだけど、そしてそこから『七人のナナ』のダメな理由(れぽあ9bと比較して、でもあり、女の子アニメとして、でもいい)も導出できるんだけど、めんどいので略。なんとなく分かるでしょ。

11月27日(水)  SF研の例会
 flurryさんと延々鈴凛話。
 鈴凛は「妹にするなら」と言うよりも「妹であるのは」と言う妹だと思う。萌えるのは姫、妹にしたいのはチェキ、妹なのはリン。エロいのはかかず。
 Aパート。
 何故鈴凛はこんなに弱っていますか。必然性がないですよ。脇に回ったときの四葉はこんなものだと思うけれど。
 Bパート。
 洋装和装を問わず、身だしなみに一番時間を掛ける妹は、この娘だと思う。咲耶が実はそうでもない事にご注意を。
 それはやっぱり彼女のレディとしての自覚と言うか、電波民族的自律心の為せるわざではまずあるのだけれど、それ以上に彼女はそう言う一つ一つを楽しむ少女なのだろうと思う。亞里亞のマジックリアルな世界とも四葉の切迫した世界とも違う、祖母をはじめとする人々の愛情に包まれて健全に育まれた彼女の世界の、それが余裕であり、深みであり、豊かさなのだろう。
 かかずゆみの得難い才能あらばこそ、のキャラではあるけれど。

11月26日(火)  今日の神発言
 ますみんでマスみん。
 発言者はのりのりさんとこの常連の四月さん。
 マスみる。ちょっと上品でいいよね。

 DNA『月姫』4。
 相変わらずの高値安定。某所で話題のジェットストリームアタックは面白いけど、やや自家中毒気味か、とは。「空の馬」かな、一番は。

 『ゴジラVSモスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』。
 ごこくさんせいじゅー。虫食い一つないその古文書はどんな保存法を使ったんだ。
 怪獣の見せ方はとても怖くてかっこいいと思うし、『ゴジラ』(1950)の続編という位置付けにはくすりとさせられる部分も多い。傑作ではあるでしょう。
 ・・・今更だけになんんも言う事ねえな。

11月25日(月)  ガッチャ。
 14日15日16日17日18日分更新しました。

 友よ、敢えて俺は苦言を呈しよう。
 だからお前は佐藤友哉が分からないのだ。
 テクストの豊かさを損なうような信念など、ドブに捨ててしまうがいいさ。
 なにそれが必要になったらサルベージするまでの事。独立的に読まれるべき、その方がより高い豊かさを達成するテクストと、背景まで読み込まれるべき、その方がより深い豊かさを提示しうるテクストがあるのだ。
 そのようなあまりに自明な真実に目を背けざるを得なかった、目の前の白倉由美の表面を全力で肯定するしかなかった俺たちの青春は端的に不幸だったとはしかし言わないでおこう友よ!
 おおきくなろうぜ。

11月24日(日)  夜中に
秘密のお出かけ。
 Guilty 仮面に隠した 
 罪の記憶(痛み、やね。はずかしい02.12.04記)と引き換えに

 なんてことを思いついていたのよ。


 おぼえていますかを寝飛ばした誰かさんへ。
 俺も現場に行く時間は流石にないとは思ってたんだけど、あなたに買っておいて欲しい本を頼むのも忘れてました。お互い様です。自慢にはならんが、慰めにはしとけ。

11月23日(土)  駒場祭コンパ
 俺抜きではまともな本も出せないSF研の無能っぷりに呆れ果てる。
 とりあえず何処の誰とも知れない素人が書いた創作小説なんかには客は見向きもしないと知った方がいい。現に俺は今回のSNの小説をまともに読んでいない。
 文芸同人誌の華は評論だ。評論の質と分量がその冊子の質を決めると言ってもいい。しかるに君たちの本はなんだね?
 戦闘少女の方で読むに足るのは俺の序文とほくしゅの特集前書き、やや落ちて俺のエスカレイヤーだけ(因みに読むに足るページの過半数を執筆した事で、俺は俺の責務を果たしたものと考える)。超人の方には一ページも読めるところがない。
 人を批判するより先にちゃんとやるべき事をやったらどうなんだ?
 何時から東大SF研は内容のないグッズをいくつも作ってハメ売り出来る大手様になったのかね?
 君らは小説の本数とページ数さえ確保できればそれでよし、としてはいないか。それが誤りである事は前述の通りだ。君たちはなんのために本を作っているのか。身内へのアリバイのためか? ならば何処か俺の目に入らないところへ行ってくれ。俺は君らよりもう少しだけ先を見ている。
 猛省を求む。
 反論は随時受付中だ。
 乱入歓迎。っていうか知りたいです、文芸同人誌って何で買い、どこを読みますか?

 アウトボクサーの系譜
 つまり天広がデュアル眼鏡の実装を日和ったって事ですよ。眼鏡学の第二原則を知らなかったのですな。眼鏡は増大する、を。まあ、鼻当ては描いても弦は描かない程度だしな。しかしそこで眼鏡を標準にしなかった事で四葉の次に可愛い鈴凛の着こなしが生まれた事を考えればやむをえなかった気はする。でもそれがまた衛互換なんて失礼な物言いにも直結しているのであって・・・。
#スカートは長いけど足出すのを躊躇しないってのも紅蘭的だなあ・・・。

11月22日(金)  学科旅行・その3
 二日酔い。
 帰京して寝る。京都には寄ったけど、若菜はいなかった。なんで?
 エロス皇帝綾崎若菜を知っている僕は、だから春歌や葵ちゃんではピクリともしないのですよ。関西ってのは若菜の匂いのする場所の事ですね、個人的に。

11月21日(木)  学科旅行・その2
 吉野へ。
 くずきりが美味い。
 どうして片山一良は毎日マスばっかかいてる己がムカついて仕方がないので憂さ晴らしに拝み屋のジジイをいびりに行く美少女の話、なんて描こうと思ったのかしら萌え。センチメンタルJ、ビッグオー、アルジェントソーマと並べると、中途半端に頭は良く自分が何をやっているかは十分に理解しているけど馬鹿をやらずにはいられない若者を何故か描きたいだけとしか思えない。そしてそれはつまり俺。片山監督ラブ。

11月20日(水)  学科旅行
 行かないと院試に落ちる、というジンクスのある学科旅行へ行って参りました。
 奈良とか吉野とか。

 昼間は奈良国立博物館とか志賀直哉旧邸とか。
 夜は適当に飲み。

11月19日(火)  東京を離れます
 ので、向こう二日間更新できません。ネットも出来ません。
 たまった更新分をどうにかする時間もないです。タイトルだけはつけておきます。そのうち何とかするはず。
 

11月18日(月)  グラヴィオンとか。
 について何か書くのも今更だよな(11月25日だったりするしな、今)。
 とりあえずぱよーとかアリかぱよーとか。一本目も二本目も、遊び心があって良いと思いました。

11月17日(日)  特にないって。
 特にない。
 GA野尻回。普通。野尻抱介の才能はキャラ描写の方が深い、と思う。従って最高傑作は『サリバン家のお引越し』。みんなただの中弛みな話だと思ってるだろうけどね。

11月16日(土)  特になし。
 特にない。
 種は豊口めぐみや三石琴乃に言及しつつ桑島法子という主題を展開する作品としては、そこそこだと思う。何故素直に桑島いい仕事してるよねと言えない?

11月15日(金)  批評とジャンルの健全性 残虐行為手当
 批評の存在しないジャンルは不健全だ、という物言いはまず批評屋さんのエクスキューズなのだけれど()、そういう穿った見方はとりあえず置いておくとして。
 本来ジャンル批評の第一義的な機能とは、対象となる作品とジャンルを、ジャンル内のサークル的評価を超えて、より高い一般性の中に位置づけ直す事にある。読み手も書き手も、批評家のそのような営為によってはじめて己の行為の意味を見出すのである。
 無論、建前ではある。建前ではあるし、そもそもより高い一般性の、高さの基準(大きな物語とか言ったりするよね)は喪われて久しい。ただ、その残骸くらいは意外と元気にしてるもんであって、だから俺たちは電車の中で同人誌を読めないのだ。売り上げと言うかなり一般的な位置付けが得られるジャンルにはだから批評家は少なく、それが得られないジャンルには批評家が増える傾向があるのだが、殊に作家よりも批評家が多いとまで言われるSFは、だからその意味で一般性に対し要求したいもの、要求できるものが多いジャンルだと思われる。状況証拠的に。
 で、残虐日記はその建前を大きく逸脱するものではなかったと思うのだ。配置、カプ、萌えなどのサークル的観点からばかりから語られがちな同人誌を面白さ、という一般性に位置づけ直す、それなりには意欲的な仕事であったとさえ思う。

11月14日(木)  同世代人へ 〜永島由子についての覚書〜
 神発言。なお、発言者は『猫斬り』『これからの人生でもっとも大切なこと』などの監督さん。
 俺らの世代、と言うのはは多分永島由子が十代のセックスシンボルでありえた世代にとって、萌えという言葉を使うにしろ使わないにしろ声優を好きになる、と言う事態はやはりただ事ではなかったのだ、と思う。
 それはそうと、『りぜるまいん』の話なのだけれど、永島由子に露骨なエロ台詞をテレビで言われると興奮すると同時に微妙にむかつくのは俺だけですか。なんというか、俺たちだけのエロクイーンだったはずなのに、さ。

11月13日(水)  素朴な疑問
 ブロッガー軍団IVマシーンブラスターってのはまだ誰も言ってないですか?
 しとねからリクエストのあったジャンルの健全性と批評の話はまたこんど。

11月12日(火)  かおるさんご指名でーす。
 ご指名ありがとうございますかおるでぇす。
 結局、問題はなんなのかね?
 残虐行為手当に関して確認されている事実は、
1、日記がアレ
2、ハトコミで記念コイン販売
3、内研の本を四冊買った
 だけでしょうに。
 最後のはともかく、前二つは別に悪い事じゃない。日記のアレっぷりで言えば俺も良い勝負どころじゃないしな。記念コイン販売に関してはそういう遊び心があってもいいんじゃないか、とは思う。同人界の構造への疑問とかがどれだけ本気なのかは知らないけど。何も含むところはなく、ただ知らないのです、端的に。俺は。C1I氏の内心を。ハトコミで売り上げは上げられない事を見越した上で話題性を追求しただけなんじゃないか、て邪推は無論可能だけど。だとすれば、冬コミ前に良い宣伝になったのではないか、と思う。そうでなかったとしても、理不尽な怒りは理不尽な方法でしか解消できないものなので、まあ、仕方がない。
 三つ目は内研の人とC1I氏の関係の中でけりをつけるべき問題だろう。転売した、とか兵隊使ってかき集めたとかは全て憶測なんだしさ。それこそ、同人誌即売会なんてなあなあの関係(コミュニケーション、て奴だ、ずぶずぶの)で運営されているわけであって、そこで一冊限定の時にそれでも四冊って言われちゃって断れない、なんて状況はいくらでもあるでしょう。売り子がたまたま気の弱い奴だったとか、客があんまり哀れっぽい顔してたから思わず同情しちゃったとか。
 同人誌即売会がコミュニケーションでありうるのならば、コミュニケーションの一つの形として、そういうのもアリなはずだ。状況によって変化して当然のものだから、コミュニケーションって。何が何でも一部まで、ってのはコミュニケーションとは普通は呼ばない。双方向性がないから。
 それ以外は、ただの憶測に過ぎないでしょう。憶測に基づいて他人を非難するのは少なくとも正義ではないよ。
 あと、転売は別に犯罪ではないです。職権濫用は、事実ならば問題でしょうけれど、今はその可能性が2局で取り沙汰されているだけ。確定した事実ではありません。まあ匿名掲示板で祭りがてら叩くんだったらそんな事は関係ないんだけど。それでも真摯な批判を展開する/しているつもりならば、憶測に基づいて語るべきではない。

 またまたご指名ありがとうございますかおるでぇす。
 爆笑問題よりもMANZAI-Cよりもフォークダンスde成子坂が好きでした。
 えっと、『痕』って元来姉妹と耕一の関係に回収される話なのです。千鶴または梓または楓または初音との関係、ではなく、姉妹との関係。同じ葉でも東鳩やこみパは一応各キャラと主人公の関係に回収されるのだけれど。つまり、千鶴と耕一の関係が、残りの三姉妹抜きに考えられる事が、例えば難しい。
 LVNが選れてSF的でありながらエンタテインメントの枠に囚われて決してスリリングではない所以が、そこにはある。「SFは日常性を仮想敵とする文学ジャンル」だとした時に、『雫』『痕』『To Heart』がそれぞれに異なったアプローチで〈日常性〉を撃っている事はお分かりいただけるだろうか。あ、この切り口いけてる気がする今度もちっと詰めてみよ。
 さて。『痕』が照準し、そして攻撃したのちに回帰する(そうなんだよ回帰するんだよ。なんで? なんで非日常へ行きっぱなしじゃいけないの、てのはそれこそ井筒監督の宮崎駿批判そのものでこことか連想せずにはいられない)〈日常性〉とは、場所の魔力である。言い換えますか。『痕』の主題は隆山温泉街である。場所の記憶と女の記憶は当然ながら強く結びついているのであり、隆山の女とは、四姉妹の事なのだ。これは女の記憶を土地の記憶に仮託した『センチメンタルグラフティ』とは逆ベクトルの操作であり、ここにストーリー志向とキャラクター志向の差異を見出すのは可能だが、それは本題ではない、事はないけどひとまず置いておく。
 あちこちと話は飛んだけれど『痕』は四姉妹が一かたまりになっているため、それを切り裂くなんらかのギミック(脇の三人はかなり有効に使えるはず)を導入しない限り耕一争奪戦以外の展開が難しい、という事です。で、安きに流れるのが人の常だから、アンソロには耕一争奪戦ものがずらりと並ぶ事になる。一つ一つの質とは全く無関係に、それが単調な印象を与えるのね。
 『月姫』は、世界観が全てを回収する。だが、その世界観があまりにコスモポリタンで、あまりに広い事により、アルクェイドルートとシエルルートと遠野家ルートとでまるで違った相貌を見せる。・・・眠くて上手く思考がまとまらない。
 つまるところ、注目されるキャラによって舞台もサブキャラも変わるからバリエーションが出来やすいって事ですね。
 なんか、もう二、三回このネタやるかも。消化不良。

11月11日(月)  ホントは
残虐行為手当について何か書こうかと思ったんだけど(まったくはいおくさんはなんのために俺を飼っているんだか。こう言う時にけしかけるためじゃないのか。注;違いますシナリオを書かせるためです)ここがあまりに香ばしくて素晴らしかったので、そっちに切り替え。
 この人はこれがなんで人々を或いは怒らせ、あるいは呆れさせたかまるで分かってないのね。当然ながら親方日の丸の傲慢さで既存の個人サイト文化を無視する態度を見せたからでしょう。それを、その反応に対して
研究室とか関係なしにblogをやっててもこうやって取り上げられることはなかったんだろうなと考えると、自分のまわりの環境のすごさを改めて実感しました。
なんて煽りとしか思えない返答をする。違うだろう。この人が求められてるのはblog、親方日の丸のblogが従来の個人サイト、日記サイトやニュースサイトやテキストサイトとどう違うのか、どのような観点から個人サイトはblogに駆逐されるべきなのか、を(あるのかどうか知らないけど)環境メディア学の最先端の知見を用いて語る事だろう。それをせずに自分の環境を自慢して終わる。そういうのを知的荒淫と言うのだ。ダメだなあ新領域は・・・と某所を煽る。

 なんで?

11月10日(日)  ウチのPCはShirayukiと言います。
 壁紙にしてみました。
 計ったようにぴったり萌え。

 ここ
 だから、その言明がこの指摘との比較においてどれだけ、説得的か、て話でしょ。
 そもそも現実の異性に興味がない転叫院、というモデルと、興味があるけどないふりをしている転叫院、というモデルの二つが提示されていて、そのどちらがよりよく転叫院のオンライン・オフラインでの言動を説明しうるのか、であって。
 「俺の心の中には一点の現実の異性への興味もない!」と論証不可能な事を主張するのは卑怯だよ。
 後者の方がお前の名誉欲の強さには良くそぐうと思う、俺は。だって、ネットで名を上げてSFマガジンデビューに憧れてるんでしょ。これって社会的な認知への欲求の現われであって、モテる、てのもまた、認知の一種だし、今でも企業ではいい歳で独身だと色眼鏡で見られたりするらしいじゃないの。認知されたがりのお前が異性関係にだけは興味を示さない、てのは不自然な感じがするな。
 ……修学旅行の夜の問い詰めだなあ、これは。まんま。
 まあいいや。俺、唯今青春真っ只中だから。
 青春ついでに、ここ
 人は自分に誇りを持って生きられるように、努力するのではないのですか、などと青臭い事を主張したい。その誇りも社会的に構成されたものであって云々という反論は却下ね。「君は、がんじがらめに世界に縛られているが、そのなかで何を望む?」とどこぞの不気味な泡も言っている。

11月9日(土)  今更ながら。
 半徹夜状態の汚い臭いデブオタどもなんて、マリみての世界観から一番遠い存在じゃないか…。
 確かにその通りだ、と目から鱗が落ちました。マリみてジャンル特有の問題では実は全然なかったりもするけど。・・・ていうか問題ですらねえ。名探偵じゃなきゃミステリ読んじゃいけないなんて事は全然ないわけだからな。

11月8日(金)  『痕』アンソロ(DNA)
 不思議に身内が一杯描いていたり。
 まあ、その身内の漫画も含めて、どうにもバリエーションに欠ける感がある。
 作品世界が緊密に作られすぎていて、二次創作によって埋め立てるべき余白が、殊に四姉妹に関してはほとんどないのですね。響子、かおり、由美子あたりから攻めるのが実は正解なのだけれど、誰もこいつらの事なんて気にかけてないし。特に由美子っておいしいと思うけどなあ。耕一の東京妻として。

11月7日(木)  Sデッキ
 半死半生。直せるのかなあ、古いし。

 ファイブスターが桜君から返ってきたのだけれど、脳内で読み返し過ぎて現物がくすんで見える罠。だって覚えてるんだもん。微妙に違うところはあるんだけど、俺の脳内にある方が俺好みに補正されてる分、いいんだよね・・・。

11月6日(水)  SF作家の
ウェブサイトがリンクアンフリーなのを見ると、お前はどんな未来観に基づいてそうしているのかと小一時間(挨拶)。
 リンクフリーですリンクの際はご一報をと書いてあるとお前はどんな日本語観に基づいてそうしているのかと小一時間。

 れぽあ。
 衛の生臭さはもう何度も言及してきたので良いとして(ああ、でもこの話も微妙に姉による承認テーマだなあ。年長組に仲間に入れてもらう話ですから、子供の衛が)、Bパート。
 妹にするなら鈴凛か四葉、は昔からの私の持論であって。なんかでもアニキは鈴凛の事を一番好きな気がする。俺が、じゃないですよ。作中人物の兄が。
 だって鈴凛は一番気を使ってあげなきゃいけない子だから。そうしないと、明るく笑いながら一歩退いちゃう子だから。
 はうあっ! 萌死。というのはもう、今回のお話とは関係がないのだけれど。いやなくはないけど。なんで、愛されたいって思っちゃうのが怖い、それでも恋心ってシチュにこんなに弱いのかしら、俺。紅蘭の種族的記憶か!
 いや、俺が鈴凛に萌えないようにしてきた理由と言うのが、今でも紅蘭の残像を追いかけている自分にあんまり気付きたくなかったからなのだけれど、まあでも、紅蘭性をああも完璧に映像化されてしまえば、手もなく萌える以外の選択肢はないのだあよ。
 それはそうと、ガイナの画面って高星晴美の画面なんじゃないか、と思った。鈴凛の髪の毛の色とか服の青いとことかが、なんとなくガイナっぽい色だった気がした。
 柴田由香という人は『千と千尋の神隠し』の動画のあと、すぐに『まほろまてぃっく』のEDなのだけれど、ガイナも『千と千尋〜』には参加していたらしいので、ジブリからの人材流出とばかりも言えないような。例えばこの表の動画さんて別に多分全員ジブリってわけじゃないっぽいと思ってみたり。

11月5日(火)  アクセス数が
跳ね上がっていてちと吃驚。

11月4日(月)  特別企画第二段
 文学フリマ感想リンク集、作ってみました。
 ・・・楽だね、この手の企画は。時間はそこそこかかるけど頭使わないでいい。

11月3日(日)  文学フリマ
 イってきましたよ文学フリマ。
 ユ・・・ユヤタソに触っちゃった!
 この手はちゃんとした事をしてからしか洗いません!

 ・・・中指がささくれたのをしゃぶってから洗いました。

 さて、そんな俺の変態行為はどうでもいいとして。
 文学フリマですよ文学フリマ。まあただの同人誌即売会ですけど。
 ただ、ただの同人誌即売会としてはあまりにあまりな部分も多々見受けられたわけで。
 サークルリストもカタログも、会場内の地図さえない、てのはどうなのか。君らは真面目に同人誌即売会をやる気はあるのか。結局佐藤友哉のブースにやたら人が並んでいたのだって、彼以外の作家の参加情報なんかが全然流れてなかったからでしょう。
 大塚英志はウェブサイトの整備が出来なかったのはそういう技能を持った人間が名乗り出なかったからだ、みたいな事を言っていたけれど、仮にも同人誌即売会を主催しようと言うのならば、最低限度の仕事は自分でやる覚悟が必要でしょう。ウェブサイトの整備ってのは最低限度の仕事に含まれますよ、当然。機会平等を謳うのであればザスニの連載で佐藤友哉が来る事だけを書くなんてのはもってのほか。
 最初はサークルリストやカタログを出す事によってサークル名という虚名が持ち込まれるのを避けたのかなあ、虚名を排して内容でガチンコせよって事かなあと思ったんだけど、佐藤友哉のところについては大塚自身が言及してるわけで、単なるサボリに決まっているのだった。内容でガチンコさせたいんなら見本誌コーナーとか作るべきだし。コミティアでやってたみたいに。
 会場では色んな人を見かけた。高校時代の同級生の今一人のYとか、まあ色々。その中で一番インパクトがあったのは、徳間の大野修一氏。なんで顔を知ってたのかと言うとSFセミナーで同じ部屋にいたからだったりするわけだけど。
 シャツの趣味が変、とは『冬の教室』のあとがきで大塚英志が書いていた事だけれど、なんと、『富野に訊け!』Tシャツを、着ておられました。御大将が吼えてる写真が胸にプリントしてある奴。凄い度胸だ と思ったので話しかけて今の気分を聞いてみたいなあ、とか思ったのだけれど、こっちにはそんな度胸の持ち合わせは金輪際あったためしがねえ。
 あとは何だろう、佐藤友哉は可愛かったです。これはますますハアハアされちゃうなあ、と思いますた。あとお茶会ブースの斜め前に吉川良太郎がいて、あまりにそれっぽかったのには驚いた。「私大文系」「優男」って看板背負ってる感じで、作品のイメージにあまりにぴったり。おお、なるほどなあ、と納得。

 即売会であっても売れるためのやり口ってのはある、というか他人を何らかの行動に駆り立てようと言うのならば、そのためには当然踏まれなければならない手続きがあるのだけれど、なんだろう、文学フリマが目指していたのはどこなのだろう、と思う。文芸誌という不良債権を私企業に押し付けるのは良くない。それは確かにそうだ。そうだけれど、そうであった時にいかに文学を延命させるか、が趣味の同人誌出版・販売だから利益なんかでなくてもいいじゃん、で本当にいいのか。半ば趣味の出版物でも採算が取れるから同人出版なんじゃないのか。たかだか四万部のbolze.が神であり、それで採算が取れてみんなが幸せな世界だから目をつけたのではなかったのか、と思った時、大塚英志がボランティアを強調しすぎるのはどうかなあ、と思う。いや、同人誌即売会主催の財布がどうなってるのかって知らないんだけど。

11月2日(土)  普通に。
 種。
 ”普通の女の子”を嫌味なく演じる事だけは何故どうしてもできないのかと桑島法子を小一時間(略)。だからそれしか出来ない飯塚雅弓以下なんだお前は。無論俺は飯塚雅弓を高く買っているのである。「男の人ってこういう女が好きなんでしょ」オーラ出さなくていいから。でも、それを出さない君も愛せない。どうすればいいんだ。

11月1日(金)  ビュイックさん
だから俺はもう人間ではいたくない
飢えた一個のレンズ眼だ!
今を食いつぶす死の眼だ!!
血を流せ!
そら殺せッ!!
やれッ!
ハロォ〜〜
「ザレムの死の天使」さん〜
勝利者インタビューに答えてよ〜
『銃夢〈完全版〉第6集』より
 なんかな、《マリア様がみてる》を読み返しちゃう病気なんですよ。今。突発的に。多分あと三日くらい。カメラちゃんとロサ・カニーナの一幕を読み返して、ビュイックさんを思う。
 影慶とかの設定上最強、ゆえに使いどころに困るキャラが好きなので、基本は蓉子萌えのオラですが、今新聞部の姉妹がばんばん来てます。いいよね、こじんまりとまとまるしかない人間が、スケールは大きいけど抜けている人間に、どうしようもない苛立ちと愛着を感じてしまうってシチュ。相手がいないとダメになってしまうのは、三奈子ではなく真美の方です萌え。
 マリみてが戦闘を除去されたジャンプ漫画である、というのはこれはもう明らかで、蓉子=影慶、聖=伊達臣人、江利子=男爵ディーノ、というのは言うまでもない事なのであるけれども、この戦闘の除去を可能たらしめたのがやおいによって発明されたカップリング概念でありましょう。カップリングの概念によってバトル物は恋愛物へと読み替えられて行ったわけですが、マリみてが男の子に受けるのは、この真逆の操作によるものです。恋愛物をバトル物に読み替えるツールとしての、カップリング概念。「男同士の恋愛をバトルに読み替える」ではなく「女同士の恋愛をバトルに読み替える」なのは、やおいが「女同士のバトルを恋愛に読み替える」ではないのと同じ理由です、多分。テリーマン最弱説と祥子総受の間には構造的同質性があるはずです。
 カップリングはバトルのギミックに魅力を感じない女の子が、それでも少年漫画を楽しむために、その構造を抽出するツールとして生み出されたのだとすれば、恋愛のギミックに魅力を感じない男の子が(無論、ボクたちはキッドとジェイドのどちらが強いかを考えるように蓉子と聖はどっちが攻めかを考えているのだ)、それでも百合作品の構造を抽出して楽しむためのツールとして用いる事もできそうなものだよね、ていうかしてるし。




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